「RAKUENOH +」の表記を漢字の「楽園王+」もありにしました。
「RAKUENOH+」の表記を漢字の「楽園王+」もありにしました。どうぞよろしくお願いします。
で、名前、ネーミングについて考えてみます。ご存知の方はご存知のように、僕の書く芝居の多くで、登場人物には名前が設定されていません。「男1」とか「男」となっていて、作中に誰にも呼び掛けられなければ、名無しのまま芝居は終わります。逆にたまたま作中にもし呼び掛けられる場面があったら、その人物がかなり少ない登場でも名前が設定されます。これがテレビや映画のシナリオだったら、こんなことはあり得ません。映像の世界のシナリオでは、実際はどこにも誰にも名前を呼ばれる場面がない人物に対しても、かなりに脇役にいたるまですべてに名前と年齢、職業を記さなくならないのです。舞台の世界では…、舞台の世界でも、かなり映像の世界の慣習に習って登場人物に名付けを行う場合が多いようです。でも、映像の世界では「どうしても必要だから」やっていることなのですが、舞台…、特に僕の暮らしている小劇場の世界では映像の場合の「どうしても必要だから」が希薄です。なので時々、僕のように「舞台上誰にも呼び掛けられないなら」名前は無しのまま
って戯曲が書かれたりもします。
…そもそも名付けとはなぜ行われるのでしょうか? それは上記した僕の作法が理に適っていると思うのですが、呼ぶのに困るから、です。名付けないと他の誰かと区別してその人だけを呼んで特定するのに困る…、困るのは本人ではなく周囲の人達(社会と言い換えてもいい)ですから、もちろん名付けとは本人の為ではなく、周囲の人達の為に行われる… 名前は実は自分の為にある訳ではなく、自分に係わる他人達の為にあったのですね。先ず最初に困るのが親か、それに近い人達だから、名付けはその人達が行う。それは、単に自分が赤ちゃんで自ら名付けを行うなんて出来ないから親が付けている、ってだけでなく、周囲(社会)の為の名前ですから、名付けの権限は常に自分以外の誰かなのですね。名付けとは、社会が自分に捺す一種の刻印みたいなもの、とイメージしても悪くはないかもしれません。そして、記号論の話を持ち出すまでもなく、社会的には(身体の誕生だけでは足りず)名付けで初めてこの世の中に存在することになるのが、この世の生きとし生けるものの運命、と
言って良いでしょう。あ、生きてないモノも同様です。ある意味、名前こそ自分の本体で身体の方が付属物とも言えます。
あだ名の話をすると、名付けの決定権がどれだけ自分にないかが分かりますが、ま、話が長くなるので皆、経験と照らし合わせて下さい。
時々改名をする芸能人がいますが、その改名で、改名が原因で成功した人はあまりいませんね。先ず改名の理由が運勢とか、本人と名前との間の本人にしか関係ない因縁の物語だけの場合では、かなり高い確率で失敗しているように思われます。名前という社会的なものと個人の思いみたいなものとは、実は親和性が高くはないのですね。逆に社会的な外側からの理由で換わる場合では、うまく行く例が多い気がします。パッと考えても、松任谷由実とか、さまぁ〜ずとかクリームシチューなど、思いつきますね。自分で名付けるということではなく、他人に名付けられた、という形を(形だけでも)取っているところが重要です。…上記したように、名前こそ本体、という側面があります。改名は単に名前を換えるだけにとどまらず、前の自分の死と新しい自分の誕生くらいの意味があります。身体が換わらない分、気持ちが悪い違和感が伴うことも少なくない。すべてをゼロから始め直す、と言えばプラスのイメージにも感じられますが、それに払われる代償も実はかなり大きいのです。改名の
難しさが伝わりますか? それくらいの代償が伴うことなのですね、名前換えるって…
改名の代償が大きい…、と分かった上で、今回「RAKUENOH+」から「楽園王+」へと表記を換える…、ある意味では、戻す、ことにしました。
「楽園王」は元々、「03」ってすぐになくなってしまった雑誌のハワイ特集の表紙の、「楽園」のゴチック文字のインパクトから名付けられました。1990年の終わりくらいだったでしょうか。記事ではカメハメハ大王の話も出てきましたから、「楽園王」とはカメハメハ大王のこと…、と言っても過言ではありません。そして無理矢理連想をつなげるなら「ドラゴンボール」の「か〜め〜は〜め〜波!!」をイメージしてもらっても僕的にはありです(笑)
それを「RAKUENOH+」に改名したのには、もちろん、それが裏切りに近い印象を与えることを分かった上で、その時期、過去と決別し新しく誕生し直す都合が内面的にはあって、また、具体的には、ソニーなど多くの国際的に活躍する日本企業がかなり早い段階からアルファベット表記にして将来の発展に備えていたことから、英語表記へと改名したのでした。僕らが抱く劇団のビジョンは、かなり大きいものです!って表明のつもりもあって。
だが一個、実は問題がありました。単純な問題…、RAKUENOH…とアルファベットで書いて普通に頭から読むと、ラクエノウ(あるいはラクエノホ?)…、になってしまう…、音響メーカーの「デンオン」が「DENON」から「デノン」って読みを主流に変えてしまった流れを受け入れようにも、ラクエノウでは落ち着きも悪く、また、そもそも何て読むか分からない、って印象を与えてしまう… 実は「RAKUENOH+」になってから、しばしば「何て読むの?」って質問を受けていたのですが、分かっていたことは言え、かなり心を動かす体験だったのです、その質問は…
そして今回、名前は自分の為ではなく自分を呼ぶ人の為、って考えに至り、やはり分かりやすいことこそ重要、とプラスはそのまま、漢字表記に戻すことにしたのです。それはそれで、ある人から見れば裏切り的な、違和感のある行為だと知りつつ、また、ある意味では、一つの(マイナスの効用も分かった上での)死と再生の行為だと知りつつ…
ただ、名付けと言う決定権が実は他人にある行為を自ら行うことを念頭に考えるに、「楽園王」を「RAKUENOH+」にした内面理由より、今回の「RAKUENOH+」に漢字表記を加える方のが、いくばくが受け入れられ安いのでは?とは考えています。でも、それでも僕には、そして集団にとってはかなり英断的な行為ですが。
…そして、このことに伴う「誕生(再生)」や「出発(再出発)」のイメージを忘れてはならない。と思ってます。これは、さりげなく実は「転機」に他ならないのです。社会とのつながりについて、…それは今の大変な世界経済についても考えに入れての…、より深くより重く考える時期に来たのだなぁ、と思うのです。
ちょっと話がズレますが、今の僕達が直接触れる世の中は「平和」です。基本的にこの「平和」を謳歌し、「平和」を愛してます。でも実は貧富の差は激しく、かなり多くの人の「不満」や「不幸」を飲み込んだ上で成立している「平和」だと言うことも、…もう様々な人が肌で体感しているでしょうが、事実です。「上」に管理され暴動も革命も起きることなど想像も出来ませんが、実は歴史的に見て、かなり世の中が乱れる水域に達しているのでは?と思っているのは僕だけではないでしょう。もし時代が求めて優れた先導者(扇動者)が現われたなら、すぐにも壊れてしまうような微妙さの中に世の中はあります。「平和」を愛する力は、時に今の偽りの「平和」を捨て、血を流してでも次の本物の「平和」を勝ち取りたいと動くことだってあるのです。演劇は音楽のライブと並んで、歴史が動く時にはそんな扇動に利用されてきた側面があるので、世の中が乱れる時期のそういう動きに敏感です。何の政治的なメッセージのない演劇をやっていても、不特定多数を一ヶ所に集めて行う集会と
いう意味では取り締まりの対象になりかねない… 新型インフルエンザを故意にばら撒いて世界を滅ぼそう、なんて芝居をやっていると、あ、ヤバいかなって思ったり… …ってくらいを考えなくてはならないのが、今の時代を生きる一演劇人の社会認識です。「転機」と言うなら、そんな社会の中で文化を担うという意味を、どうしても考えないわけにはいきません。
…というわけで、「楽園王+」を今後とも、どうぞよろしくお願いします。もちろん「RAKUENOH+」ってアルファベット表記もデザイン的には多用すると思いますが。えっと、明るい芝居もやります! はい、こんな時代だからこそ、何かヒントになるような作品を上演して行きたい。ほんと、よろしくお願いします。ぜひ劇場で会いましょう。…改名のお知らせでした。(楽園王+ 長堀)